刑部人とばら・静物
昭和16年、刑部邸の隣に作家の林芙美子夫妻が居を構えた。画家だった夫の緑敏氏は薔薇づくりを趣味としており、刑部は隣家から毎年季節になると届く薔薇を好んで描いた。梅原龍三郎、中川一政、朝井閑右衛門等も緑敏氏の薔薇を描いたが、画家たちが巻の柔らかいつぼみや、虫の食った葉を好むので、緑敏氏はわざと自然のままに花をつくったという。緑敏氏の薔薇園から届く硬くたくましい棘のついた花は、茎の長い店売りの薔薇と違って、そのまま花瓶に挿すだけで絵になった。「林さんのばら、美しさいわん方なし」と手帳に記すほど、刑部はこの薔薇を心待ちにし、届くとすぐに妻・鈴子に生けさせ、アトリエへ籠って描いた。 (以上「刑部人のアトリエ」より引用) 刑部はまた柿、桃、葡萄など四季折々の果実を画面上に巧みに配置し、実生活に根差しながらも芸術として昇華させたといいうる珠玉の小品を多数残している。四季折々の旬を感じさせる天からの恵みである果物を描くことで、日本人が古来より示してきた自然への感謝と畏敬の念を表そうとしたのだろうか。