刑部人
刑部人(1906-1978)は日本の風景を数多く描いた、昭和の時代に活躍した洋画家です。卓越した描写力、ペインティングナイフを活用した独自の技法で、日本各地の風景を描きました。
刑部人の人間的な魅力や、長いスランプの時期をどのように乗り越えて独自の世界を創り上げたのか、といった画家の内面世界まで、関係者の証言や様々な資料から明らかにしていきます。
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苦難の時代を経て
独自の画風を生み出すまでの、生みの苦しみ。 刑部人は、刻一刻変化する自然の表情を自らの感性に忠実に、ペインティングナイフを生かした躍動感あふれるタッチで描いた画家として知られる。 しかし、そのような刑部の画風は、決して容…
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刑部人と渓流
刑部にとって渓流は最も得意とするモチーフのひとつであった。 ほとばしる水の音さえ聞こえてくるような数々の渓流の傑作を残している。 ここでも、初期の作品がグレージングの技法を使って丁寧に描かれているのに対し、 円熟期の作品…
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刑部人とばら・静物
昭和16年、刑部邸の隣に作家の林芙美子夫妻が居を構えた。画家だった夫の緑敏氏は薔薇づくりを趣味としており、刑部は隣家から毎年季節になると届く薔薇を好んで描いた。梅原龍三郎、中川一政、朝井閑右衛門等も緑敏氏の薔薇を描いたが…
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刑部人と京都・奈良
刑部は、洋画の大家、金山平三と全国各地の制作旅行に同行する。金山は、刑部邸の近所に住み、以前より妻の実家の島津家と懇意にしていた。金山は制作風景を他人に見せることを極度に嫌うなど難しい人柄で知られていたが、刑部は金山に大…
刑部人【おさかべじん】
1906.5.5~1978.3.8
栃木県下都賀郡都賀町(現・栃木市)生まれ。1929年、東京美術学校西洋学科卒業。1943年に文展無鑑査で出品となり、1946年、1947年に日展特選。ペインティングナイフを活用した独自の技法で、刻一刻変化する日本各地の情景を描き、風景画の巨匠としての地位を確立。財界、政界に多くの刑部ファンがいることで知られている。